So-net無料ブログ作成
検索選択

book:offの利用法

手元資金調達のため、book:offに本を持ち込むことにした。
ハードカバーの、きれいな本を選んで17冊。
けっこう重い。
定価だけ合計すると、たぶん2万円は超える、といっても、
売るときには定価は関係なくてたたかれるのは分かっている。
それでも2000円くらいにはなるか、というのが予想価格。

ところが、思惑とは全く違った。

「1946年の大岡正平」   20円
「解剖学教室へようこそ」   5円
ファイナル・カット」    160円
【終わりなき祝祭」     30円
ローマ人の物語(2)」    30円
「4人はなぜ死んだのか」   6円
「闇の王国・光の王国(2)」  50円
単行本 20円×10冊    200円
----------------
合計           500円

とまあ、そんな感じ。
電車賃320円を引くと、手元に残ったのは180円だった。
これって、ちょっとひどくね?
いや、book:offの査定がひどい、と言っているのではない。
中古市場に出す、というのは、そういうものだと思っている。
そうではなくて、単純に
本を選ぶ労力・時間、それに対する結果に対して、ひどいと言っているのだ。

友達からも聞いた。
部屋いっぱいの本を、取りに来てもらって渡された代価が5000円だった、と。
「でもそれで部屋の空間が増えたし、誰かがその本を読んでくれると思えば」
と納得したという。

たぶん、売る人のほとんどが、金額に関係なく、こういう理由で納得しているのだと思う。
僕もそうだった。

……けどねえ……。


うちのほうでは、ごみの回収で本や新聞などの資源ごみは毎週土曜日。
本がごみになってしまうなら、安くても(ただでも?)市場にもう一度出る機会を与えたい。
そう考えてきた、ぼくも。
しかし、じつは回収された本も、きれいなものは別のルートから
市場に流れていくのである。

そうであるなら、なにも重い荷物を持って電車で出かけたり、
査定の低さにむっとしたり……という気持ちを味わうより、
150円、500円をあきらめても、回収日に出したほうが
気分的にすっきりすると思う。

bool:offに本を持って行ったとき
横で、文庫本数冊を売ろうとしている人がいた。
もちろん、100円とか、そういう金額にしかならない。
ぼくなら、文庫本を古本屋に持っていこうとはまさか考えないだろうなあ。
でも、そのときに気がついたんだよね。
読み終わった本が数冊たまったら、すぐに売って次の本を買うときのたしにする。
以前から(おもにゲームなどの場合に)知ってはいたんだけど、
目の前でそれを見て、納得した。

これが、本を売却するときのbook:offの、いちばんの利用方法かもしれないなあ。

「橋づくし」の謎

いや、お金がほんとになくて、

なにか売るものないか、と周囲を見回しているうちに、
三島由紀夫の豪華限定本を持っていることに気がついた。

「橋づくし」
「岬にての物語」

 たぶん、どちらも20年以上前に5万以上で買ったもの。
これに谷崎純一郎の書簡、といってもペラ1枚と封筒、なんだけど、
こちらは買った時の値段が6万円。

これを持っていけば、それなりの値段がつくだろうと思った。
といっても、あわせて3万くらいを想定。

神田の、初版本などを扱っている店に持ち込む。
合計で2万円という話だった。
豪華本はいずれも段ボール箱の一部が日に焼けているので、
愛好家にとってはそれだけで買う気にならないものだ、という。
これは僕もそう思う。
といっても、中は新品そのものの美しさを保っているのだけど。
くわえて、「橋づくし」の、「風呂敷の色が違うんですよ」という。

え……?


「橋づくし」の豪華本は、そもそも
『橋づくし』の短編一つをゆったりとした活字で組んだ和綴じの本、
それを袱紗でくるみ、ケースに入れ、さらに保護用の段ボールに入れてある。
そして、色ちがいの「雪」「月」「花」の3種があり、
そろってセット、という凝ったものだ。
ぼくのはたしか「月」ではなかったかと思う。
ところが、中の袱紗の色が本来の(たぶん)緑と違い、
赤だったのだ。
おそらく、「花」のものではないかと思う。
「なぜこんなことになったんでしょうね」
と言われたが、わからない。
どこかで、もともと「花」と、この「月」の2冊を持っていた人が、
両方を見て、戻す時に間違えたんだろうか。

「橋づくし』は大阪の芸妓3人が、
「一言も口をきかずに7つの橋をわたることができたら
願い事がかなう」
という言い伝えにそって、スタートするんだけど、
結局3人ともそれを果たすことができなかった、という
お話。

いま緊急に必要なお金は、供給停止を目前にしているガス代が、
ぼくの分とカノジョの分をあわせて2万3000円、
プラス生活費。
提示された2万円はそれにはたりないけど、
いま、ほかにそれだけの金額を用立てる道がないのだ。
しかたなく、手放すことにする。

いつか、だれかが、この袱紗の違う2冊をそろえて、
本来のものにしてくれるのだろうか。

再開してみようかな

すいぶん、空いてしまったなあ。

ひさしぶりです。

そろそろ、再開しようかと考えている。

書き始めたころは、ずいぶんと気張っていたから、
それがしばりになって、まとめきれなかったんだと思う。

もうちょっと気楽にやってみようかと思います。

たったひとことの話

彼女の介護でなかなか自由な時間がとれないけれど、
小さな時間をやりくりして喫茶店で過ごす時間は食事の献立を考えたり、
本を読んだりしている。

たいてい、どの喫茶店でも注文したコーヒーを持ってきて、テーブルの上に置いてから
「ごゆっくりどうぞ」
という。

これはどの喫茶店でも同じで、へたをすると立ち食いのカレーなんかでも同じことを言う。
(立ち食いで、どうやってゆっくりできるんだろう、と考えちゃう)

ところが、いつもいく新宿の喫茶店で、

「ごゆっくりお過ごしください」

と言ったウエイトレスがいた。


こういわれたのは初めてなので、思わず本から目を上げたけど、すでにそのウエイトレスは後ろ姿だった。

「ごゆっくりお過ごしください」
って、ステキな言葉だと思わない?

何人かいるウエイトレスの、どの人が言ったのか、もうわからなかった。

その店はそれからも何回も言っているけれど、いつも
「ごゆっくりどうぞ」
としか言われない。

他の店でも、「ごゆっくりどうぞ」としか言われない。


たったひとことの話。

歯医者でエステ

ひさしぶりに歯医者に通っています。

去年・おととしあたりから歯がつぎつぎとやられ、ついに去年12月中旬頃、左の犬歯に穴が開いているのに気がつきました。
この歯、パイプをくわえるのに必要な歯^^;

駅の近くには歯医者が数件、軒を接するようにあって、まずどれを選ぶかが問題。
時間に追われているうちに機を逸し、ようやく飛び込んだのが年末ぎりぎりでした。

で、選んだのがなんと女医さんのところでありますww
いやもう、年末で明日土曜日の予約が取れるところがなかった。土曜日もやっていて(日曜日もやっているのが望ましかったけど)、時間帯も夜できれば10時頃までやっているところ。

これまで通った歯医者といえば、どうみても60代の年寄り医者、次が40代の草食系医者という具合でどちらも診察室は「こりゃ20年くらいは使ってるな」という感じ。

しかし今度の医者は違いました。

美容院みたいな明るい感じで、診察台も3台、大きな窓に向かって並んでいる。ぼくは美容院に行ったことはなくていつも床屋なので、「美容院みたい」というのは外から見ている美容院、入ってみたらこんな感じだろう、ということです。

そうかあ、いまの歯医者ってこんな具合なんだ、と印象を新たにしました。

医者も、50代くらいだろうと勝手に考えていたらこれが30代くらい? マスクでよくわかりませんが、「美人女医」だと思いこむことにしています。
ちょっとラッキーwwww

で、先生、診てもらっているときに席を外して、受付のところに行って、
「雨が降っていたら予約キャンセルしてもいいんだからね」
と大声で叫んでいる。
何かと思ったら、相手はお年寄りの女性で耳が遠いらしいんだね。
「雨が降っていたら、足が滑ると危ないからキャンセルしてもいいんだよ。うん、雨の日はこちらから電話するから、そうしたら予約し直してね」
とこれまた大声で叫ぶと、相手は「はいはい」と答えていた。

やさしいじゃん。

ちょっと先生のファンになりましたw

今日根っこが残っていてどうしようもない歯を3本抜きましたが、これが全然痛くなくて、ここでも感激。

ともあれ、歯医者ってさわられることが多いわけで、それが無骨な男の手でなくて柔らかい女性の手であるということはやっぱ快感だね。

ちょっとエステ気分でありますwww

食卓百景 そばの食べ方

外食することが比較的多い。
たいていは牛丼とか立ち食いそば、喫茶店のランチメニューなどだけど、あるとき、なんとなくほかの人が食べている様子を見ていたら、これが千差万別。けっこうおもしろくて、ついつい観察してしまうのが癖になっちゃった。


最初におどろいたのは、立ち食いそばで、おもいっきり唐辛子をかけている人。もう、丼の表面がすっかり唐辛子で覆われている。

……辛くないんだろうか。


ぼくはソースや醤油などもほとんど入れない。なぜかっていっても困るんだけど、魚の干物、コロッケ、漬け物……。どうしてだろう? 
カツにウスターソースはかける(トンカツソースではない)。


そういえば目玉焼きに、たっぷりウスターソースをかけるのは大好きだ。
けれど、ほんとうをいえば目玉焼きは塩をかけて食べるのがいちばんおいしいと思っている。
でもあるとき、全体に塩をかけて食べ始め、途中であれ、塩味がしないぞ、と思ってもう一度塩をかけ、そんなことを繰り返しているうちにかなりの量の塩をかけていることに気がついた。どうもかけてからしばらくすると塩味が飛んでしまうらしい。
こりゃあ、ひょっとすると塩分取りすぎになっちゃうぞ、と思った。
そのことがあってから、目玉焼きに塩をかけるのは誕生日、正月だけにしたww

とまあ、人によってなにをどれだけかけるかは好みの問題だからいいんだけど、この「丼いっぱい唐辛子をかける人」の様子はつい、こっそりと見ていた。
平然と食べてる。

う~む。
「天ぷらそばはこれじゃなくちゃ」というほどの顔でもなかったな。

なかなかの見物でしたよ。


ところで、そばを食べるときですが、ズズズッとすすりますね。
あれってどうなんだろう、というのがとても気になっていた。

ぼくは音を立てて食べるものだ、と思っていたら、カノジョが「ちがう」っていう。
反発したかったので、周りの人にちょっときいてみた。

食事のマナーって、「音を立てないで食べる」のが普通だと思う。
たしか『ポゼッション』だと思うけど、嫌っている夫が音を立てて食べるのを見ていかにも嫌そうな顔をするイザベル・アジャーニ、というシーンがあった。
あれは音を立てて食べることが嫌悪の対象になる、という了解があってできたシーンだと思う。

そういう中で、そばだけが音を立てて食べること、とされている。

ほんとうかいな。

行儀作法の先生に聞いてみたかったんだけど、あいにくそんな知り合いはいなくて、せいぜい江戸っ子の末裔?みたいな友達にきいたのが、それらしい答え。

本来はそばも、やはり音を立てて食べるものではなかった。
しかし、落語などでズズズッとやると、これがいかにもおいしそうに見える。そのあたりが発祥となって、そばは音を立てて食べるものだ、ということになったらしい。

というのだ。
彼も「……ということらしいよ」と確信を持っていったわけではないけれど、このほうが根拠もなしに「そばは音を立てて食べるもの」というよりも事実っぽいよね。

お、ここまでかいてきて、ウイキペディアで調べてみたら、あったよ。

>そばの香りや喉越しを楽しむために食べるときに音を立てることが許され、
>その点ではうどんや中華麺などと並んで世界的にも稀有な食品である。

なるほど^^;

か、かもかも~~^^;

うちの周囲には駐車場がいくつもある。

駐車場にあるもの、といえばもちろん、車。
しかし、「駐車場に似合うもの」というと、やっぱりネコだね。

とくに冬なんて、車の影と影の間にできた小さな日だまりであたたまりながら丸くなって寝ている姿はすごくかわいい。
これはネコ好きなら誰でもうなずいてもらえる。

ところが先日夜、なにやら駐車場にネコではないものが動いていた。
お尻を振りながらヒョコヒョコと……。

……なんだろう?

……?

か、か、かもかも~~?

なんでこんなところにカモがいるんだ?

どこかで合鴨農法をやっているんか?

でも、近くには田んぼどころか畑もないし……。

どこからきたんだろう?

そんなことを考えているうちに、そのカモは車の間に入って見えなくなった。


「ふしぎだよなあ。あのあと、どこにいったんだろうね」
と友達に話したら、

「カモ鍋にされちゃってたりして(笑)」
おいおい、それはないだろうwww




ずぅっと以前、仕事で埼玉県のある町に行ったとき、駅の近くでアメリカザリガニを見たことがある。

近くに川も田んぼもないし、そのときもなぜこんなところにアメリカザリガニ1匹、いるんだろうと不思議に思った。
きっと子供が川でつかまえて、運ぶ途中で落ちたんだろうね。

しかし、ひょっとするとなにかのきっかけで、そいつは仲間と離れてひとり(1匹)、どこかに向けて歩き始めたのかもしれない。

車にひかれることもなく、人に踏みつけられることもなく、長い距離をここまで来て、どこかに行く……。

なにかの啓示を受けたのかもしれない。そいつは神に選ばれた1匹だったかもしれないなあ。

アメリカザリガニの小さな脳みそに、ある日、誰かが
「お前は選ばれた1匹なのだ。川を出て私の命ずるままに歩きなさい」
という言葉をささやく。

アメリカザリガニはもちろん、考えることなくその言葉のままに歩き始めた。

どこへ? そんなことはわからない。

しかし、ただ歩いていけばいつかその「誰か」が伝えた場所にたどり着くことができるだろう。


それは、どこなんだろう。

その木なんの木

8月31日、右手が変なことに気がついた。
傷みはないけれど、指に全然力が入らない。
肘から先を水平に上げると、手首から先がだらんと下がったままだ。
あわてて病院に行ったら、「神経を痛めてしまったんです」という。
よかったぁ。脳梗塞とかではなかった。
「肘をついたり、腕まくらをしたりしてはいけません。神経が修復するのは1日に1ミリくらいなので、早ければ2~3日、ちゃんとしないと半年くらいかかります」
ひぇ~、これ、半年も続いたら、なにもできない。
「薬らしい薬もないんだけど、いちおうビタミンを処方しておきます」
カノジョの食事を毎日つくらなければならないのに、これじゃあ包丁も持てない;;
この日は、テイクアウトのカレーでがまんしてもらう。

9月1日
手紙を書くが、大きさも、右肩上がり・左肩上がり、まちまちでちゃんと字が書けない。右手に左手を添えて、小学生みたいなはがきを書いて投函。

9月2日
どうやら包丁もなんとか持てるようになるが、タマネギのスライスができない。いつもは、カノジョに「よくこんなに薄く切れるね」といわれるくらいきれいにスライスできたのに、タマネギのカドの部分を包丁が滑ってカドを切り取るだけ……。
でも手首から先も水平まで持ち上げることができるようになった。

9月2日
手を握ろうとしても、手首が内側に曲がってくるだけ。

9月5日
チャーハンを作る。ニンニク・ショウガをみじん切りにしないといけないのに、包丁を持つ手に力が入らないので、今日までできなかった。それでもフライパンのご飯を返すことはもちろんできないので、そういうときは両手でやる。
まだ、水の入ったコップを上から持ち上げることができない。

手首から先も、だいぶ持ち上げることができるようになった。
これだけでもけっこう力がいるんだなあ、と実感したときに、ふとあることに気がついた。


その木なんの木気になる木♪

というコマーシャルソングがある。
画面に映るのは、横に何メートルも枝を伸ばした木である。
いままでなんの気なく見ていたんだけど……

あの長さの枝って、きっとすごく重いに違いない。
それを支えている幹には、どれほどの力? がかかっていることだろう。

ということだった。 
すごいよなあ。


セミの死骸に引導を渡す人

駅への道を歩いていたら、すれ違った人が突然座り込むようにしたので、びっくりして振り返った。

その人は持っていた紙片で、どうやら道に落ちていたセミの死骸をすくい取る様子。
道ばたの植え込みに、セミをそっと置いている感じだった。そして、片手で拝み、立ち去っていった。

見れば、頭は剃り上げている。
まだ20代のように見えたけれど、坊さん(修行中とか)だったのだろうか。

ぼくは位置的には無神論の立場にいる。しかし、そういいきれるほど理論武装しているわけでもない。というのは、こういう姿を見たとき、やはりある意味敬虔な気持ちになるからだ。仏教だからではなく、キリスト教だからではなく、自分の信じたものに向かってまっすぐ立っている人。
すくなくとも、ぼくなんかよりきちんと考えているんだろうなあ、と思う。

カノジョが歩くとき

カノジョが「行こうか」といってベッドから立ち上がった。
そして、gtvに乗ってドライブへ。


……夢。
カノジョは今、リウマチでほとんど歩けない。ベッドとコンピュータの間を1日に2。3回往復するだけが精一杯という状態。
膝が痛くて、低い座席から立ち上がることもできない。だからアルファgtvに乗ることもできないで、病院に行くときはレンタルで借りたトヨタ・ラクティスでいく。あんなに好きで買った車なのに、いま、補助席は空席のままだ。

目が覚めたとき、ぼくは泣いたよ。

あは、書きたいことはいっぱいあるけど、ありすぎるので、これだけ。

ちょっとヘンだよ、ワンセグの時報

テレビをつけているとき、たまたま同じ番組を携帯ワンセグで見たらへんなことに気がついた。

ワンセグって、テレビ放送よりも1秒弱くらい遅れるんだよね。
ということは、

ワンセグの時報はまちがっている!

時報を発信しているところで時間をずらせているとは思えないので、
発信は同じ時刻だろう。
電波は1秒間に30万キロを走るわけだから、
同じ時刻に発信した時報をテレビで受信するときと
ワンセグで受信するときとで1秒弱違うということは、
つまり、

ワンセグの電波は20万キロくらいは寄り道をしてから
携帯に届く(携帯のスピーカから聞こえる)ということになる。

空気中の距離はほとんど変わらないとすると、
時報を発する部分から送信アンテナまで、または
携帯のアンテナからスピーカまで
の間にこの20万キロがあることになる。
すごいね。

……ほんとうは携帯の中のコンデンサとか、そういうパーツの中を通るときに
微妙に時間がかかるんだろうけど、
それにしてもすごいなあ、と思う。

電波=光は、どのような場所でも秒速30万キロで不変である、というのは
相対性理論の中にあるんじゃなかったっけ?
このあたりになると、物理オンチのワタクシにはわかりません。



…………しかし、なんと
ワンセグだけじゃない!

固定電話と携帯電話で同時に時報をきくと、
やっぱりわずかに時間のずれがある!

正しい時報は、いったいどれなんだろう?

世の中、これだけは信じられる、と思っていたことが、ひとつ、減りました……(TT)

さて今年は……^^;

ティーポット 4個
小鉢 2個
ガラス小鉢 2個
ちょっと大きいガラス小鉢 2個
焦げ付いた鍋 2つ

これ、去年割ってしまったり、使えなくなって捨てた食器の数。
ちょっと多すぎ。

カノジョから「扱いがあらすぎる」といわれてしまった。

じぶんでもそれはわかっているので、買ってくる食器はあまり高くないもの、と決めている。
ほんとうはちょっとステキな食器にしたいんだけど、
いまはカノジョの食事をつくって食べさせ、つぎのメニューをどうしようかと、
それを考えるだけでせいいっぱいの毎日なので、
どうしても扱いが雑になってしまう。
今年はいくつ割るんだろう^^;

食器もできるだけ無個性なものにしているのはそういう理由があるからだ。
ほんんとうは今使っている食器、気に入っているから買ってるんじゃないよ。

いつか、ひとつずつでも気に入った食器を手に入れて
カノジョに見直してもらいたいと思ってるんだけど。


p.s. これをかいた翌日、ガラスのボウルを割ってしまった。う~ん、今年はいくつ割るんだろうか……;;


目玉焼きでもつくろうか

卵焼きと目玉焼き、どっちが好きかときかれたら?

ぼくは目玉焼きが好きなんだが、カノジョにはそれが不満だったらしい。
つまり、目玉焼きはフライパンに卵を割り入れればそれでおしまい。
ところが卵焼きは味つけがたいせつで、作る人の好みによって様々な味になる。厚み、焼き具合、卵のみというシンプルなものからネギなど様々な具をいれたものまで、いろいろ。
そこが作り手の腕のふるいどころとなるわけだ。
なるほど。
たしかに、目玉焼きだとポイントは黄身の固さくらいとなる。
というわけで、ぼくは素直にカノジョに「まいりました」と頭を下げたのだが……。

卵焼きはどこから切っても同じだ。いわば縦・横・斜めの金太郎飴。
しかし目玉焼きは白身の部分、黄身の部分、白身のまわりのちょっと焦げた部分、とそれぞれに味わいが違う。柔らかめの黄身をつぶして食べる、黄身だけを残して一気食い、とか、食べ方は目玉焼きのほうがはるかにバリエーションに富んでいる。
とくに意外な伏兵なのが白身のまわりの焦げ目で、これがあるとないとではその目玉焼きの価値がぐっと違ってくるのである。はい、ぼくはこの、白身がわずかに焦げてレースのようになった部分が大好きなのです。

ところで、
テフロン加工のフライパンを使っている。炒めものが焦げないのはとてもいいのだが、ちょっと困ったことがある。
目玉焼きのまわりが焦げないのである。いっそ焦げ目がつくまで火を消さないでおこうとも思ったが、そうすると黄身が固くなってしまう。う~ん……。
「便利の陰に不便あり」とでもいうべきか。


ずっと前『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(監督:ボブ・ラフェスソン)という映画を観た。
冒頭、刑務所を出てきたフランク(ジャック・ニコルソン)は、小さなドライブインにはいって、食事を注文する。コーヒー、目玉焼き、パン。
彼は目玉焼きの黄身をフォークでかき回してぐちゃぐちゃにし、パンをコーヒーにひたしてがつがつとむしゃぶりつく。
このシークエンスだけで、フランクが下層階級の出である、ということが十分に表現される。とても印象的なイントロダクションだった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「るいまれな」ってなんだ?

11月4日、文化勲章の顕彰式が行われた。

ここで、塩谷文部科学大臣からの言葉が贈られたのだけれど、そのなかで……

「るいまれな功績」とと発言。

……るいまれな?

これは類い希な、「たぐいまれな」のことなんだろう。
たぶん、高校生でも読める、というか難読語かもしれないけれど、いわば普通の言葉で、それを教育のトップにいる人が間違える(知らない?)というのはどうもねぇ。

こういうスピーチはたいていゴーストがいて、それを読み上げるのだろうけれど、塩谷文部科学大臣が読み上げるものは、ぜひ、

総ルビ

にしてほしい。

これは4日、15:00からのNHKのニュースでやっていて、たまたまこの部分のみが放映された。
NHKも、たまたまここを放送するなんて、

いぢわる?

かもしれないww


美しい男

ぼくはホモセクシャル方面には興味がないので、
美しい、といえば女性のことだと思っていた。
しかし、6月に放映されたNHK「プロフェッショナル 野生の命を、あきらめない」という番組で、
初めて「美しい男」というのを見たように思った。

齊藤慶輔さん

釧路に診療所を持つ獣医師だ。

といっても、診療の対象はペットではなく、傷を負った野生動物。車や列車にはねられ、けがをした鳥たち。
彼は、
「動物には自分に治す力があるのだから、僕たちはそれをアシストするだけ」
という。
治療を続けていくと人間にも慣れてくる。しかしそれでは野生に戻ったときに必要となる警戒心も薄れてしまう、という考えから、極力ケージに近づかないようにしていると。
傷の治癒ではなく、野生で生きていけるようにすることが治療のゴールとなる。

「動物の前にいるのは自分しかいない。最良を目指し、最善を尽くす」
そう話す齊藤さんの顔、目の輝きに、ぼくはびっくりしたのだ。

きっと人は自分のしていることを信じて懸命になっている時、こういう美しい顔をしているのではないか。

だれでも。


ツボ

水や酒を入れておくツボ。このツボにもどうやらいろいろな種類があるらしい。

ぼくのカノジョはYouTubeにある猫の動画を見るのが好きなのだが、そのなかににらみあっている猫の動画があって、これを何度も見てはけらけら笑っている。
猫のうなり声を日本語に置き換えているんだね。


謎の男 なんだ、おまえは
謎の男 オ、いいよないいよな
謎の男 オレをー----お!
謎の男 いやがるなよ!
茶虎刑事 え~……う~ん
茶虎刑事 う~~~~ん……
謎の男 そんなに嫌?
茶虎刑事 ふ~ん

そんなことをいっているらしいのだが、たしかに、そう聞こえるwwww
カノジョはこれがすっかり気に入って、何度も見ては笑っている。
「ツボにはいっちゃたww」




ところで、今日スーパー買い物に行って、レジで精算するときのこと。

レジ袋はレジスターの下にある引き出しの中に、大きさごとに分けて入れてあるのだが、これを取り出すときに引き出しががたん、とはずれそうになってしまった。
レジの女性がプッと吹き出した後で、
「ごめんなさい、ツボに入ってしまったみたいで」
こちらは、落ちそうになった引き出しよりもそのひと言の方がおかしかったw

買い物のときなどにきく「ありがとうございます」はいわばオフィシャルな会話で、店員も客の方も、そこに格別の感情を込めたりしない。
しかし、そこに小さなものでもなにかアクシデントが起こると、オフィシャルでない顔がぽろっと出てくる。

それはなかなかに楽しいものだ。

たばこのにおい

喫茶店で仕事をしたり、のんびり本を読んだりするのが好き。
そのときはもちろん、喫煙席だ。

でも、隣の人が食事をしているときなどは
遠慮して、食事の終わるまでは
たばこに火をつけないようにしている。
食事中に食べ物以外のにおいがまとわりつくのは
好きじゃないから。

何人かで食事していて、
先に終わった人が、まだほかの人が食べているのに
たばこを吸い始めるのは
なんだかなあ、と思う。
ま、それは他人の席なので、
かわまないといえば、かまわない。
ぼくがそうしたくないと思っているだけだから。

ところで、先日のこと。

隣の席にひとりで座った女性が
食事し始めたので、
こちらは喫煙ストップ
食べ終わったのを見定めてから
たばこに火をつけた。

しばらくして帰ろうと思って席を立ったら、その女性が
「どうもありがとう」
といった。
こちらは一瞬、なんのことだろうと
思った。
食事が終わるまでたばこを喫うのを待っていたのに
気がついていたんだ。

なんだかとてもうれしかった。

こういう女性が、ぼくは好きです。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

いただきます

立ち食いそばをよく利用する。
客は男ばかりで、なかに塾帰りの小中学生が混じる、という感じ。
女性客はほとんどいない、というのが普通だった。

それが最近、女性客もよく見かけるようになって、
それは懐具合というよりは
むしろ手軽なのが受けているのではないか、と思う。

女性の知り合いで、
「立ち食いそばと回転寿司ははいったことがない。
今度連れてってくれる?」
といった人がいた。
いきたければ一人でもはいればいいのに。
この人の中では立ち食いそばも回転寿司も
そんなところにいくのはプライドが許さない、
ということだったんだろうか。

いっぽう、ばりばりで活躍している女性部長がいて、
おなかがすけば牛丼でもなんの店でも
飛び込んじゃう、という。
吉野家で牛丼食べているなんて
想像できる人ではなかったけれど、
この部長の方がよっぽどかっこよかった。

食事したところでは
「ごちそうさま」というのがマナー。
高級レストランだろうが
立ち食いそばだろうが、それは変わらない。
しかし、立ち食いそばで
「ごちそうさま」という人は
だいたい3分の1くらいか。


2~3年くらい前、
例によって立ち食いそばで食べているとき、
3人くらいの中学生?高校生?がはいってきて、
それぞれ注文を出した。
そばが出てきたとき、そのうちの一人が、

「いただきます」

といった。

びっくりした。
食べ終わって「ごちそうさま」をいう人だって
半分はいない。まして、
「いただきます」といったのは
その人が初めてだった。

「いただきます」

う~ん、いい言葉だなあ。
きっと、いい家庭で育ったんだろうな、と思った。
(もちろん、お金のある、という意味ではない)

ぼくはまだ
「ありがとう」の修業中で、
そばが出てきたときの「ありがとう」はいうけれど、
「いただきます」は次のステージだ。

ちなみに、その後、立ち食いそば屋で
「いただきます」をきいたことはない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

巻頭言、っていってみた^^

日々、いやな思いをしたことはたくさんあって、
指折り数えることができる。

でも、反対にいいこと、ステキなことって、思い返してみても、
あったような、なかったような……。

これって、なぜだろう?

「幸せな家庭はどこも似かよったものであるが、
不幸な家庭は、みなそれぞれに不幸である」
というようなことを、
トルストイが『アンナ・カレーニナ』の冒頭で言っているけど、
ひょっとすると同じ?

もしかすると、ぼくらの世界は
いいこと、幸せなことがあたりまえなので、
ことさら注意していないと
わからないんじゃないだろうか、
なんて
考えてみたりもする。

あるいは、僕らの世界では
いいことや幸せというのは
レア・アイテムなんだろうか……。

どうせなら、いやなことを数えるより
いいことを思い出したい、
そんな気持ちで始めるブログです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。